ベトナムとは何か?ベトナム人とは何か?

2017年9月5日火曜日

ベトナム建国記念日?珍左翼のプロパガンダに踊らされる日本猿

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9月2日は、ベトナムの建国記念日とかで祝日でした。
(1945年9月2日)

実はそれを遡ること半年前の1945年3月11日、我らが帝国陸軍がついにベトナムからフランス軍を追い出し、ベトナムはそれまで60年近くに渡るフランスの植民地支配からベトナム帝国として独立します。
帝国陸軍はそれ以前にベトナムに駐留しており、いわゆる二重支配と呼ばれていますが、行政権はフランスが握っています。
(1884年、仏越の甲申条約)

そしてついに1945年3月9日に、日本とフランスの間で戦闘が始まり、わずか2日でフランスが敗退したというものです。
(明号作戦)

作戦終了後、日本側はベトナムに独立を促し、フランスとの条約破棄が可能と通告します。
これにより、ベトナムは、植民地支配で統治権を奪われていた1884年の甲申条約を破棄し、フランスからの独立と日本との協働を宣言します。
日本は同様の通告を、カンボジアとラオスにも行い、それぞれが独立宣言を発し、ここにおいてインドシナ半島における欧米列強の植民地支配が終焉した、かと思いきや世の中そんなに甘くはありません(笑)

今や社会主義国家であるベトナムで、この辺りの史実を知る者は、ほとんどいません。
珍左翼のプロパガンダに踊らされる日本の猿連中も、歴史など勉強したことはありませんから、ホーチミンの独立宣言や珍左翼史観の新刊本や、せいぜいネットのデタラメを読んで、「日本はなんて悪い国なんだ、あ~こりゃこりゃ。」と恐れ入っています。


昨年のちょうど今頃だったか、私はハノイのローカルのカフェでコーヒーを飲んでいると、初老のベトナム人のおっさんに英語で話しかけられました。
「どこから来たのか?」と問われたので、「日本人です。」と答えると、

おおぉっ!日本人か!

と、勝手に私のテーブルに座り、今度は日本語と時折英語を混ぜて話し出しました。
(たまに、こういう図々しい人、います。笑)

おっさんは、こちらが驚くほど日本のことをよく知っていました。
「日本に行ったことあるの?」と聞くと「ない。」と言います。
聞くところによれば、おっさんは日本のことが大好きで、とにかく日本についていろいろと勉強したと言います。

「何でそんなに日本が好きなの?」と聞くと、おっさんは子供の頃に祖父から日本のことをよく聞き及んで、「日本を尊敬している」と言っていました。

おっさんの祖父の話こそ、上記の時代の真っ只中の話なのです。
私が聞いたおっさんの祖父の話を、そのままお話しましょう。

爺ちゃんが若い頃というのは、フランスの植民地時代です。
そして太平洋戦争が始まると、今度は日本の軍隊がベトナムに駐留して来ます。
爺ちゃんは初めて日本の軍隊を見た時、びっくり仰天ぶっ飛びます。

なんと、自分達と姿かたちがほとんど同じであるアジアの国の軍隊が、フランスの軍隊と互角に渡り合い、フランス軍は手出しができません。
そうこうしている内に、フランスと日本との戦闘が始まり、またまたぶっ飛びます。

な、なんと、わずか2日でフランスは敗走します。
そして長き植民地時代が終わり、ベトナム帝国は独立します。
若き頃のじいちゃんにとって、日本は希望の星でした。


しかし、世の中うまいこと行きません(笑)
その5か月後の8月、日本は敗戦を迎えベトナムからも撤退します。
すると、共産主義勢力が各地で一斉に武装蜂起し、臨時政府を樹立し、その時の独立宣言をした日が、9月2日の今のベトナムの建国記念日です。

この時、ホーチミンとその取り巻きは、前年から続いていた飢饉を日本のせいにし、200万人のベトナム人が餓死したという大法螺を吹き上げます。
(ちなみに、後にハノイの人民委員会幹部はこれは政治的なプロパガンダであったと認めています。)

飢饉の中、日本の軍隊は355万トンものコメをベトナム人から略奪したそうです。

阿呆も休み休みに言ってもらわねば困ります。
当時の駐留師団、およそ2万人~2万5千人が1日1kgのコメを食ったって400年分ぐらいの備蓄量です(笑)
そんなものどこに保管するちゅうねん?

そもそも戦国時代ではないので、駐留師団が物資を調達する時にはお金を払っています。
その金、どうしたの?(笑)

確かに日本でも400数十年ぐらい前までは、占領地での略奪というのはありました。
しかしながら、我らが弾正忠・信長公の時代には既に略奪は行われなくなっています。

と言いますか、既にこの時ベトナムはベトナム帝国として独立していますから、駐留師団は今でいうところの日本の駐留米軍みたいなものです。
日越猿軍団の言うことは、「日本で飢饉が起きて駐留米軍が日本のコメを略奪した」と言うぐらい荒唐無稽なことです。

その辺のところを、件のおっさんの祖父は、何と言っていたのか?


若き頃のじいちゃんは、ベトミン(共産主義勢力)の話を聞いて怒りに震えます。
確かに飢饉で食い物がなく、食うや食わずの日々が続いたこともありました。
しかしながら、街で炊き出しを行って、じいちゃんに飯を食わせてくれたのは、ベトミンではなく、日本の軍人です。

恥を知れ。この馬鹿、とはこのことです。

とは言え、こんなことを口にすると、ベトミンに粛清されるので言えません(笑)

じいちゃんは、子供の頃のおっさんに言いました。

いつか必ず、また日本人が来てくれる。
その時は一緒に協力して頑張れ。


感動した!

私、微力ながら馳せ参じました。(笑)

同時に、この天道に恥じぬ帝国軍人の行いこそ、真のサムライであり、真の日本人であると言えます。

とりあえず、猿は死んどけ。


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