2017年12月3日日曜日
怒らない、怒らない、怒らない・・・。
バイクで外を走ると、たいがい3回ぐらいはベトナム人に殺意を抱く(笑)
殺意を抱くからと言って、いちいちそれを行動に移さないことは言うまでもない。
とは言え、「それを行動に移さない」というのは、道徳形而上学的な善なる意思の行使という義務感から来ているものではないことはハッキリと認識している。
もし仮に、警察や軍隊という暴力装置をも上回る、範馬勇次郎のような地上最強のパワーが私に備わっていれば、ハノイ市民の7割~8割ぐらいは皆殺しにしていたに違いない(笑)
「とにかく暴力はけしからん!」とか「とにかく戦争反対!」と叫ぶボンクラ連中というのは、この大前提が完全に抜け落ちたノータリンなのである。
そんなことを言ってられるのは、それが言える状況を担保する暴力装置が備わっていて初めて言えることだからだ。
暴力団がやりたい放題できないのは、暴力団を上回る「警察」という暴力装置が備わっているからなのである。
そもそも本当に「戦争」自体がけしからんと思うなら、70年以上も戦争が起こっていない日本でプラカード掲げてギャーコラ騒ぐのではなく、正にリアルタイムで紛争中の中東やアフリカの正に紛争のど真ん中で「戦争反対!」と叫べば良い。
そして、如何なる崇高な言論も、それが言える状況が担保されなければ糞のフタにもならないことを、あの世でしっかりと理解することだ。
無論、日本で70年以上も戦争がなかったのは、米軍という圧倒的な暴力装置が担保していたからである。
さて、話は逸れたが、ハノイでバイクに乗る度にベトナム人に殺意を抱いていては、やはり精神衛生上もよろしくないし、その内「ベトナム人を見たら殺意を抱く」という条件反射が形成されても困るので、もう怒らないことにしたのである。
そのためにバイクに乗る時は「怒らない、怒らない、怒らない・・・」と、念仏を唱えることにした(笑)
念仏を唱えると、これが不思議に大して腹が立つこともなくなる。
なるほど、一向一揆勢が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、次から次へと突撃して来た訳である。
その様は、かなりキモかったに違いない。
「怒らない、怒らない、怒らない」と念仏を唱えれば、ベトナム人の意味もないクラクションに腹が立つこともない。
無論、横からいきなり割り込んでくるバイクにも腹が立たない。
あまつさえ、反対車線をクラクションを鳴らしながらパッシングして走って来る車が真正面から現れても、全然腹が立たず、道の隅へ避けるのである。
信号無視して交差点に突っ込んで来たバイクが、横からぶつかって来ても「怒らない、怒らない、怒らない・・・」と念仏を唱えながら、
蝶野正洋・ケンカキック!
ドンガラガッシャ~ン!
黒澤浩樹・下段回し蹴り!
バイクごと倒れたベトナム人が「Sorry!Sorry!!」と言えば、ニッコリとほほ笑むことができるのである。
怒ってますやん・・・(笑)
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