2019年2月9日土曜日
象に乗った少年
ここに一枚の古い写真がある。
恐らく時代的には、昭和初期の頃の写真と思われる。
私がその写真を初めて見たのは、幼少の頃である。
洋館の窓辺に佇むその女性は、白いドレス姿で一輪の花を持っていた。
大きな瞳とすっと通った鼻筋は、さながらフランス人形のように愛らしくもあり、美しく、正に洋装の麗人とは、この女性のためにある言葉かと思えるほどだ。
誰からも愛され、祝福されて育った女性というのは、かくも穢れの無い純粋無垢な美しさを醸し出すのではないか、と今となっては思うところだが、幼少の私はそんな難しいことは考えられないので、ただただ、その絶対美に圧倒された。
しかも、その写真の主は、目の前にいる、私の婆ちゃんなのである(笑)
それ言われて、よくよく見れば、大きな瞳と鼻筋は当時の面影があり、さぞかし昔は美人だったのだろうとは想像できる。
とは言え、目の前にいるのは、私にとってはただの婆ちゃんだ(笑)
諸行は無常である。
どんなに美しいものでも、いつかは朽ちる。
これあれば、かれあり。
これなければ、かれなし。
これ生ずれば、かれ生ず。
これ滅すれば、かれ滅す。
私の厭世的なニヒリズムっぽい考え方は、これが原体験ではないかと思われる。
あと、極度の面食いになったのも、この時の衝撃のせいだと思われる(笑)
いずれにせよ、由緒正しい家に生まれ、何の苦労もなく育った婆ちゃんが、激動の昭和を生き抜いたというのは苦労の連続だったに違いない。
ま、人間、やればできる、とも言える(笑)
そんな婆ちゃんの若い頃の話を聞くのが、当時の私にはお伽話を聞いているようで楽しかった。
婆ちゃんによれば、若い頃の爺ちゃんも、かなりのもんだったらしい。
頭脳明晰、語学堪能、スポーツ万能で、上流家庭の子女の間ではモテモテだったそうだ。
婆ちゃんとのデートの時、爺ちゃんは馬に乗って迎えに来る(笑)
洋装の麗人と二人で馬に乗りデートというのが、2人の定番だったらしい。
今では、街中で馬に乗るなんてことは考えられないが、当時でも珍しいことで、街行く人が振り返り、婆ちゃんは「恥ずかしかった」と言っている(笑)
その点を、後に爺ちゃんに確認したところ、当時の爺ちゃんは陸軍で乗馬を教えており(将校以上は乗馬ができないといけない)、終わってから、面倒臭いので、そのまま馬に乗って来ていたそうだ(笑)
意外と緩い時代だ(笑)
今なら、炎上案件だろう。
とにかく、幼少の私は、そういう話を聞くに及んで猛烈に馬に乗りたくなった。
という訳で、爺ちゃんと乗馬クラブに行くのである。
そして、颯爽と馬を乗りこなす幼少王城となるはずだったが、世の中そんなに甘くないのである。
西部劇の様に颯爽と馬を乗りこなすジジイを尻目に、超ヘタレだった幼少の頃の私は、怖くて乗れなかったのだ。
覚えていないが、最後は泣いたらしい(笑)
散々な目に遭い、しばらく落ち込むことになる。
そんな私を不憫に思ったのか、爺ちゃんは突然、
「象に乗せてやる!」
と言い出し、今度は動物園に連れて行かれた。
どういうコネを使ったのかは知らないが、とにかく象に乗せてくれることになったのである。
今なら炎上案件だが、とにかく昔は緩かったのだ。
しかし、目の前で見る象の恐怖というのは、馬の比ではなかった。
もう、ほとんど怪獣だ。
とは言え、この「怪獣のよう」というのが、逆に私の闘志に火を付けた。
象が怖くてバルタン星人と闘えるのか?!
ウルトラマンがいなくなればバルタン星人と闘うのは、この俺なのだ。
という訳の解らん理屈で、リベンジに燃えていた。
馬鹿は幸せである。
更に、爺ちゃんは、象に乗れたら帰りにイマイのサンダーバード秘密基地(プラモデル)を買ってくれると言う!
このインセンティブを得て、幼少王城は燃えに燃えた。
象に乗りさえすれば、労せずしてサンダーバード秘密基地だ!
私は、動物園の人の助けを借り、必死に象によじ登り、象に乗った。
象はでかいのだが、でかさ故に乗ってしまえば馬より安定するので、怖くない。
遅いし(笑)
ただ難点は、象の体毛は意外と固いのである。
一応、マットみたいなものを布いてくれているのだが、半ズボンの私にはチクチクして痛かった。
象に乗る時は長ズボンに限ると、この時初めて知った。
とは言え、それ以来、象に乗る機会はないので、教訓は生かされていない。
とにかく、私は象を乗りこなし(ただ乗っただけだが)、サンダーバード秘密基地を買ってもらい、家に帰って、爺ちゃんと秘密基地を作った。
人間、やればできるのである。
何の話やちゅうねん・・・。
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